八朔(はっさく)
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万延年間(1860年)の頃、田熊町にある浄土寺の住職 小江恵徳上人の生家の畑に、
近所の家人が食べて捨てた柑橘の種から、2本の木が生えました。
せっかく生えたからとそのままにしていると実が成り、食べてみたところ、
独特の風味があっておいしかったということで、その後も食べられるようになりました。
これが後の「八朔」になります。
「八朔」と呼ばれるようになったのは明治19年で、
八朔(旧暦8月1日、現在の9月20日ごろ)から食べられたからと言われています。
気候が温暖で柑橘が育ちやすい自然条件が整っている因島では、
捨てられた種から発生した実生が自然交配を繰り返し、
八朔のような雑柑といわれる柑橘がたくさん生まれました。
八朔の他に、因島原産で現在まで生産されている雑柑に安政柑があります。
当初は因島近辺で食べられていた八朔ですが、
昭和に入り、出荷組合の設立で次第に全国へ広まっていきました。
このような過程を経て、庶民の味として定着した八朔は、
現在「はっさく大福」「はっさくゼリー」を筆頭に、お菓子やお酒に加工され、
全国的にも人気商品となっています。
八朔は、因島を誇る特産品なのです。