因島村上海賊わたし探訪【4】青陰城跡

もうすぐ梅雨入りですね♥
雨はあまり好きではありませんが、普段は出番の少ないレインブーツを履くのが楽しみな『わたし』です♥
今回の『わたし探訪』は『青陰城跡』です。

青陰城跡(あおかげじょうあと)

この城は海城ではなく、戦国山城であり長崎・青木・余崎などの連絡場所であった。因島村上氏が戦国大名の性格をもつと、本城の役割を果たすようになった。因島のほぼ中央部、風呂山と龍王山に挟まれた青影山頂にあり、三庄方面を除く島のほぼ全域及び周辺海域が見渡せる場所に位置している。
【ストーリー構成文化財一覧表より】

 

青陰城跡から生名島方面を臨む。 各土地の城跡をよく見渡せる。

青陰城は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期頃に活躍した村上義弘が南朝勢力として居城したという伝承があります。
また、後の第一家老救井太郎左衛門尉義親の居城とも伝えられています。
本丸を中心に西側に三の丸、東側に二の丸と一段下がって屋敷跡があります。

青陰城の配置図。『因島市の文化財』因島市教育委員会発行より。

青陰城跡の近くに、古い書物に記載されている井戸がある、と聞き、郷土歴史家の住原さんに案内していただき、因島観光協会のもう1人の新人『節子さん』と共に登ってきました。
井戸には落ち葉が沢山溜まっていましたが、少なくとも60センチほど水深があるようでした。
その井戸の淵には、水を汲むための足場の様にも見える、突起した大きな石があり、当時はここから水を汲んだのかしら?と想像をかきたてられました。

ひっそりと山の中にある井戸。 写真右手前に足場のような大きな石がある。

その後、青陰城跡を目指し頂上へ。
比較的歩きやすい遊歩道で、住原さんに青陰城の説明を聞きながら歩くと城跡まであっという間でした。
頂上からは、三原、細島、向島、伯方島、生口島、そして生名島等の瀬戸の島々を見渡せ、その各地のどの城跡も見ることが出来、当時、司令塔としての役割を果していたことが、とても良く分かりました。

しばらく、城跡の記念碑の前に座り、全盛期だった頃の青陰城を思い、おしりの下の、この場所にもきっと何らかの遺産が埋まっているのだろうな、等と想像していると…。
お腹が『ぐぅぅ…』…。

山から下りて、まっすぐに『いんおこ』を食べに行った『わたし』でした。

 

〈わたし〉因島観光協会 新人 宮島明子